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2014年10月5日日曜日

『布上智子とAçaí com banana』ショーロの夕べ

東日本大震災復興チャリティ・コンサート 『布上智子とAçaí com banana』ショーロの夕べ

・布上智子(ボーカル)

 ・斎藤彰子(クラリネット)

 ・寺前浩之(バンドリン)

・高田泰久(7弦ギター)

 ・西村誠(パンデイロ、パーカッション)










2014年9月2日火曜日

第24回 定禅寺ストリートジャスフェスティバル ベルツブース出店

2014年9月13日()・9月14日(

第24回 定禅寺ストリートジャズフェスティバル

今年もこの季節がやってまいりました。
昨年と同じ場所で「森のソーセージレストラン ベルツ」出店させて頂きます。
西公園という少しメインステージから離れたアットホームな雰囲気。
しかしながら出演アーティストがいつも豪華なんです。
ジャズフェスのいいところは、何と言っても距離感です!
LIVEの臨場感がビシビシと伝わってくる激しさと、ゆるやかな時間をみんなで共有できる自由な雰囲気が最高だと思います。
私もお得意様とお話しをしたり、お会いすることが何よりも楽しみです。
ぜひ皆様のお運びを心待ちにしております。

【フード】
自家製ソーセージの盛合せ(2本)…500yen
厚切り熟成ベーコンステーキ…500yen


【飲料】
ヱビスビール(生)
ざおうハーブの生ミント モヒート

2014年1月16日木曜日

オリパパ邸 探訪

日頃からとても親しくさせて頂いておりますオリパパご一家。
新潟中越地震の震災復興チャリティ・コンサートでも大変お世話になりました。
時として師であり父であり、時として友である貴重なありがたい存在。
私どもの結婚式でトランペットを吹いて頂きました。
東日本大震災の時も沢山の応援を頂きました。
そんなオリパパは数年前にある里山にて、こんな素敵な暮らしをしています。
ごくごくシンプルな暮らしの中で、トランペットと改めて向き合う生活。
音楽家としての集大成を迎えようとしている。




オリパパのトランペットには心がある。
ではその心とはいったい何が育むのだろうと考えてみる。
その営みを目の当たりにし、その答えはすぐに出た。

家族と仲間と丁寧な暮らし。

何を大切にしていて、どのようにして生きていきたいか。
音楽はそれをストレートに表現できる。
私はこういう人間なのですと、音楽は素直に表現できる。
自分もそうありたい。
そしていつの日かその事を峩々に訪れる旅人に感じて頂きたいと願う。


トランペットが吹きたい
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織田準一(トランペット)
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2013年9月26日木曜日

第2回 小竹浜フェスティバル 東日本大震災 継続ボランティア活動 新聞掲載

東日本大震災後から継続してボランティア活動を行っております。
このブログでは小竹浜と言えばおなじみだと思います。

本日の石巻日日新聞 夕刊に記事が掲載されました。

2013年9月25日水曜日

定禅寺ストリートジャズフェスティバル ベルツ出店報告


今年も出店してまいりました「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」
あいにくの雨で来場者はあまり伸びませんでしたが、ベルツブースは仙台市内にお住まいのお得意様に沢山お運び頂きました。


メニューはもちろんソーセージの盛合せベーコンステーキですね!


楽しい2日間でした。ありがとうございました!


個人的にはキャンディーズのカバーをしていたこのバンドが好きでしたね。


途中、大雨になり公園内は水たまりが何か所もできてしまいました。
水かきが大変でしたが、それもまた良い経験になりましたね。


しょうがないので、右半分は客席にして中で召し上がって頂く事にしました。


雨が降っても、素敵な音楽とビールでみんな笑顔!


また来年も出店しますので、どうぞみなさまで遊びに来て下さいね。

2013年4月23日火曜日

河北新報 第2朝刊 「かほピョン こども新聞」4/21 掲載さました


東日本大震災以後、継続して行っております活動が地元紙 河北新報に掲載されました。
今回は子供向けにわかりやく解説されております。
これからもこの小さな絆を大切に育んでいきたいと考えております。
また、この活動にボランティアとして参加された全てのメンバーに心から感謝を申し上げます。


河北新報 第2朝刊 「かほピョン こども新聞」Web版

小竹浜ブログ

河北新報 TOP



2013年3月11日月曜日

石巻市小竹浜のみなさんをご招待 落語会&樹氷鑑賞ツアー

東日本大震災から今日で2年が経過しました。
今日は心穏やかに過ごしておりました。
時折、山の上から太平洋がすっきりと見える晴天。午前中の猛吹雪が本当に嘘のようです。
死者の方々は本当に無念だっただろう。私はただ海に向かい、冥福をお祈りするばかりです。

さて、各地で行われております追悼式典などでも「歩みを進める」という事の大事さを、様々な方がご挨拶などの中でお話しされていると思います。
復興に向けて、いったい自分自身が誰のために何ができるのだろうか?そして、その誰かが前に進もうとしている後押しができているだろうか?相手を突き動かすほどの原動力になっているのだろうかと考えます。

今回は震災直後から継続してお付き合いをさせて頂いております、宮城県石巻市小竹浜のみなさんに宮城蔵王すみかわスノーパークの樹氷鑑賞ツアー三遊亭遊馬さんの落語を楽しんで頂きました。前回と同様に1泊は宿泊料金を頂戴し、2泊目はご招待させて頂きました。
まずは遊馬師匠の落語会からスタートです。
小竹浜のお母さん達は落語が大好きで、本当に喜んで頂いております。
師匠、今回も完全ボランティアでの参加です。本当にありがとうございます!

この日は一般のお客様の御宿泊をお断りして、2日間貸切でゆったりとした時間をを過ごして頂きました。

宴会も大いに盛り上がりました。




樹氷鑑賞ツアーも大成功!実際に標高1,600Mの樹氷源を散策する事ができました。
すみかわスノーパークのガイドさんも大変ユニークでとても親切。また行きたいですね。

やっぱり笑顔が一番!笑いあり、観光ありのゆかいな旅でした。
三遊亭遊馬師匠、後援会の益田ひとみさん、ミニコンサートをしてくれた君塚さん&斎藤さん、本当にご協力ありがとうございました。

地元の新聞では最もメジャーな河北新報 特集「ふんばる 3.11大震災」に今回の事が掲載されました。
Webでもご覧になれますので、ぜひ読んでみて下さいね。

我々の小さな活動がお互いの原動力になれるよう、これからも頑張っていきます。




河北新報特別縮刷版 3.11東日本大震災1ヵ月の記録

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2012年10月21日日曜日

第一回 小竹浜フェスティバル


東日本大震災後、継続してお伺いしております宮城県石巻市小竹浜。
今回からは被災地支援という枠を超え、楽しい時間を共有するイベントを開催してまいりました。

ずっと、このブログを読んで頂いているみなさんはご存じだと思いますが、まずは私ども峩々温泉と石巻市小竹浜との関係からご説明したいと思います。

東日本大震災で壊滅状態になってしまった宮城県石巻市に小さな漁村があります。

震災後、私どもの旅館では定期的に住民の皆さんを旅館にご招待させて頂いております。

東日本大震災によって、当館も大きな被害が発生致しました。
地震による道路の破損、燃料不足による除雪不能、停電の長期化による温泉管及び水道管の凍結・破裂、従業員の出勤不能、原発事故等々の問題。
峩々温泉は震災翌日からゴールデンウィーク直前まで休館致しました。
そんな中で一番早く業務を再開できると判断したのは、他事業を展開しておりますハム・ソーセージの製造だけでした。
当時は物流も完全に停止している状態ですので、宅急便業者が復活したら一斉に発送できるものを考えました。
「がんばろう!!宮城 チャリティボックス」とし、売上の20%を義援金として現地に送る仕組みです。
諸経費につきましては全額峩々温泉が負担することに致しました。
なぜなら義援金の行き先不明や経費計上など、当時問題になっていたような余計な詮索はされたくなかったからです。
旅館で実際にご提供しております「ひとめぼれ 一等米 3kg(宮城県柴田郡柴田町産)」やお茶、また自社製造のハム・ソーセージレストランによるパウンドケーキ、自家製ドレッシング、超熟成 ロースハムスライス(宮城県産:宮城野Lポーク使用)、豚バラベーコンスライス、ソーセージ2パック。
とにかく旅館が40日間休館しておりますので、従業員の雇用を確保しなければならない。
そう思った私は、全てのスタッフを集めこのチャリティボックスを販売する趣旨を伝えました。
おかげさまで延べ600名以上の方々にご賛同頂き、従業員の雇用・給与の支給と被災地ボランティアの活動資金を捻出することができました。
チャリティボックスをご購入の方にだけ、我々のボランティアに関する活動報告会を行うことにいたしました。
全国各地から駆けつけて頂きました皆様に、心から感謝の気持ちを伝えました。
当日、小竹浜にいらしたボランティア組を含む20名以上の方々にお集り頂きました。
今回も素敵な落語を披露して頂きました三遊亭遊馬師匠と後援会長にはチャリティボックスをご購入頂きました関係でお集まり頂き、その時初めて自己紹介させて頂きました。
夕食後、談話室にて様々な話題でたいへん盛り上がりました。
みなさんの意識の高さ、思いの深さを感じました。

①峩々温泉における震災被害のご説明
②休館時の対応
③ボランティア活動の報告
④今後の支援に対する方向性
⑤原発事故による風評被害の実情
私からは以上5点を報告させて頂きました。
その場所に遊馬師匠もいらっしゃいました。
師匠は避難所で絵本の読み聞かせをするという、大変ユニークなボランティアをされてました。
通常の10倍ほどに拡大した絵本をあの迫力満点の語り口で、時には優しくささやくように、一文字一文字を心を込めて伝えています。
翌日も被災地を回られ、沢山の子供たちと触れ合ったそうです。
後日、自らの活動に協力して頂けないかお願いをしてみました。
小竹浜の皆さんに笑いを届けたい。師匠の高座を聞かせてあげたい。様々な話の中で、そう思いました。

そして、こうやってその思いは現実となりました。
人の思いと言うものは、何かのきっかけを始点に加速度を増します。
その気持ちが折り重なり、大きな力となって目の前に感動の渦をつくります。
とてつもない力が、文字通り人間の原動力になるのです。
人間は何か必ず役割をもって産まれてくると言われています。その役割を全うするために、自らの意思で一生を掛けるけるのです。
どうやって生きていくかを真剣に考えた時、今ま一生懸命やってきた事がこんなにも素敵な時間となってかえってくることなど本来考えられないでしょう。

思いが叶う瞬間。人は原点に立ちかえります。そしてこう思うでしょう。
そうか!今まで頑張れてこれたのはこの日のこの時のためだったのかと。
そして、この人達に出会うために沢山のプロセスを踏んだのだと。
それそれの思いを乗せて、この大漁旗のごとき小竹浜という大きな家族と共に素晴らしい時を過ごす事ができました。
宮城県石巻市の牡鹿半島に「小竹浜」という小さな漁港。
現在の人口は82名、平均年齢が70歳を超えているような所です。
街に暮らす住民の主要産業はほぼ全て漁業で、主に牡蠣の養殖やシャコエビ漁などが盛んでした。現在も少しずつ海底の瓦礫撤去、水質の検査などをクリアしながら漁を復帰させております。

こちらとはこの震災を経て、また深い絆で結びついたような気持ちでおります。
私が幼い頃に通っていた川崎小学校青根分校と小竹小学校は交換会を行っており、夏休みになると3年生以上の子供はこの街にホームステイに行きます。
漁船に乗せて頂いたり、網を引いたり海で泳いだりしました。
逆に冬は海の子達を山の温泉街がみんなで迎え、スキーを教えるという会です。
当時はテレビ局などのマスコミに取材されたりして、結構注目されていたイベントでした。
歓迎会でふるまわれたライスカレーとスイカ。立ち泳ぎを教えてくれたおじいちゃん校長先生。船酔いの薬として出された梅干し入りの番茶。初めて食べたマンボーの刺身。鼓笛隊の行進曲にあわせて、住民全員で歓迎してくれる。真っ黒に日焼けしたシワの深いおばあちゃんは、麦わら帽子をこちらに向かって振っている。
磯の香りがあの頃を思い出させます。まさにあの思い出はいつどんな時でもカラー映像となって鮮明によみがえります。
その後は年賀状のやりとりなどを数年行なっておりましたが、ご無礼ながらいつの間にか疎遠になっておりました。
震災当初に伺った時は電話も通じず、道も充分に通ることがやっとの状態でしたので、本当に小竹浜の皆さんが無事である確信も無いまま現地に物資を運びました。
考えてみれば、25年ぶりの小竹浜でした。到着し、私の小竹浜支援の大きな原動力になっているちょっとした出来事がありました。
当時ホームステイさせて頂いていたお宅の勝俣かあちゃんが、私に会うなり「あら竹ちゃん大きくなったね」とすぐに名前を呼んでくれました。
うれしかったです。行って良かったと心から思いました。
震災の3日前に式を挙げた妻も同行させ、結婚の報告もすることができました。

こちらの小竹浜では、行方不明者0人でした。
他の地域では考えられない事だったそうです。
それは、誰がいないかすぐわかる近所付合いをしているからです。
生き残った理由は、津波を想定した訓練を年に何度も行っていたからです。
なんと炊き出しの訓練まで全住民参加で行われている。飲料水もちゃんと蓄えている。
渡波から細い山道を通って行かなければならないこの場所は、震災当時完全に孤立してしまったそうですがこの住民たちは強かった。
いつでも津波を想定して日々暮らしている。そして、死への恐怖心を互いへの思いやりにかえているのです。
さらに驚きなのは、現在避難所になっている旧小竹小学校(現在のコミュニティセンター)には自分専用の毛布がちゃんとキープされている。
そして究極は、体育館と集会場に敷くための畳。こちらは空家になっている住宅から持出許可をあらかじめ取っているという事。
実家を小竹浜に残しながら、息子夫婦と石巻の街中に住んでいる方からだそう。
いつも助け合って暮らしているから、大きな部屋に雑魚寝でも全くストレスが無い。
皆同じ仕事を分け合って、いつも手分けして暮らしているから異議や言い争いが無い。
避難所には各家庭から持ち寄った食べ物がありました。
高台に住む勝俣家は塀にひびが入ったものの、無事でした。
「家には米粒1つ無いんだよ。みんな全部持ってきたからね」と勝俣かあちゃんは笑ってました。
お腹が減ったら避難所に行く。お茶と漬物少々で笑ってみんなを励ます。
われ先にとスーパーで買い占めようにも、この漁村にはそのトラブルの元がありません。
皮肉にもその不便さがこの漁村の誇りなのです。
底抜けの明るさの裏側にある苦労や、高らかに響くその笑い声には様々な人間模様が存在する。
計り知る事の出来ない恐怖と不安を抱えてもなお、彼らの笑顔は消える事がない。
この小さな漁村には大きな家族なのです。
私はその中の1人として、自分のできることを一生懸命やっている。
そして私の周りには支援活動に賛同し、峩々温泉や私を助け、小竹浜を支え、元気をわけあう仲間達が沢山いる。
この度、その仲間の1人となって頂きました遊馬師匠。本当に心強く思っております。
そして、いつの日か過疎化の進むこの小竹浜がこのボランティア活動に関わるみんなの故郷になって欲しいと願うばかりなのです。
 小竹浜出身の阿部直人さん、将来はこちらの地区の区長さんになって欲しいです。横浜市保土ヶ谷から車を飛ばしてきたならび矢さんご夫妻はネギ焼き・焼きそばなどなど約100人分を焼いてくれました。ご自身でもお店でチャリティメニューを作り、支援を続けて頂いております。
 ここに集まって来た仲間の共通点は、全員自らの腕を信じて一流を志している人々。
ひとつひとつの所作に美しさがある。心がこもっている。それぞれの得意分野でみんなを幸せな気持ちにさせる。まさにプロの集団だからこそ、こうやって楽しく足を運ぶ事ができるのだと思う。
TRI4TH織田祐亮さん・関谷友貴さん。ギタリストの君塚世和さん。
ちんどんバンドのざくろからは織田陽子さん・斎藤彰子さん。
第一線で活躍するアーティストの方々には本当にお世話になりました。
帰りはせめてものお礼にと、山形県村山市で「冷たい肉そば」を御馳走しました。
寒河江のチェリーランド。ここのジェラートはめちゃくちゃ美味しいですよ!

 別れをおしみながら、みなさんを見送りました。
また来年も同じメンバーで小竹浜に集まります。

このもようは、三陸河北新報(2012.10.17)に取り上げられました。
Web版もご覧いただけます。http://www.sanriku-kahoku.com/